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2015.07.13 Monday

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    思いをカタチに(1)もしも名前が無かったら

    2015.07.11 Saturday

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      物に、もし名前が無かったら。

      それは、何と呼べばいいのでしょう?

      たとえば、イス。
      “子供のころミルクをこぼしたシミがあって、それが懐かしいモノ”。

      たとえば、皿。
      “いろいろ使えて便利。結婚祝いに、職場の友人からもらったモノ”。

       たとえば、カーテン。
      “だいぶ古いけど模様が気に入っていて、まだまだ使いたいモノ”。

      私たちは、日々、モノに囲まれて暮らしています。
      イス、皿、カーテン、本、バッグ……
      だけど、もしそれらに名前が無かったら。私は最初に書いたような内容で呼ぶでしょう。

      たしかに最初は、ただの物です。
      自分の手元に来たときは。

      だけど使っていくうちに、いろいろな気持ちが、プラスアルファで付いてきます。ふだん意識していなくても、心のどこかに残像としてあったりします。

      私たちは、そういう思いを引き出すモノに囲まれて、あるいは思いをモノに積み重ねながら、日常生活をいとなんでいるのです。

      同じ物でも、人によって見方は違うでしょう。

      目の前のテーブル。

      ある人にとって、それは、
      “傷だらけだけど、それも家族の歴史。味がある。大事に使っていきたいモノ”。
      別の人にとっては、
      “けっこう使い勝手がいい。いざとなったらアイロン台にもパソコン机にもなるすぐれモノ”。
       あるいは、
      “高さは合わないし、脚にはひっかかる。使いにくくて仕方ない。早く壊れてくれないかなあ……なモノ”。

      いろいろな枕詞がつく“モノ”になります。

      であるならば。
      いい思いでいられるような、買い方をしたい。使い方をしたい。

      嫌いで使っていても、精神衛生上よろしくないはず。
      なにより、そのモノに対しても申し訳ない。

      そう……そしてそれは、モノだけでなく。
      人にも、同じことが言えるのでしょう。家族や友人、隣人に対しても。

      私にとって、あなたは?

      “大好きで、毎日いつも笑顔でいてほしい”――ひと。

       
      JUGEMテーマ:コラム

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