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2015.07.13 Monday

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    バラの葉(冬のあとに(5)冬〜8月)

    2010.10.27 Wednesday

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      去年の暮れ、バラが、葉を落としました。
      ただ単純に、冬になったからだろう、と思っていました。

      ところが、春になっても、バラは葉をつけませんでした。
      なぜ?
      原因が思いつきません。寒さで立ち枯れた? 病気になった?

      しかし、その頃には、わたしはバラどころではなくなっていました。
      年明け早々からガンが発覚し、それまでの平穏な生活から、いきなり非日常の渦中に放りこまれていたのです。
      自分のことでいっぱいいっぱいでした。


      春はあっというまに過ぎました。梅雨になりました。
      わたしは抗ガン剤治療を始めていました。バラのことは気になっていましたが、それより、治療による自分の体調のほうが大事でした。
      土をうるおす雨が続いても、バラは葉をつけようとしませんでした。

      治療は苦しいものでしたが、小休止といえる週があり、そういう時は普通の生活ができるのが助かりました。髪を刈ってしまったので、帽子だけは家の中でも外でもかぶっていました。


      初夏。裏庭は、成長する草花で緑が濃くなっていました。
      その中でバラだけが、去年の暮れと変わらぬ姿でした。むきだしの幹に、棘をいからせて、冬がそこだけ残っているかのようでした。

      わたしはO・ヘンリーの『最後の一葉』という短編を思い出しました。
      病気の少女、落ちてゆく葉。自分の命と木の葉がこぼれ落ちていくのを、ベッドの少女はただ見つめている――。

      バラは、わたし自身なのだろうか、と思いました。
      もはや枯れるだけなのか。
      いや考えすぎだ。
      だってわたしは治るのだから。

      もしかしたら――弱っているときは、突拍子もない考えが浮かびます――
      バラは、病気のわたしに、エネルギーを与えてくれていたのかもしれない。
      だからわたしの病気は良くなり、バラは枯れたのだ。
      バラはわたしの身代わりとなって、力尽きた――。

      そんなありえないこと。ファンタジックすぎて、自分でも笑ってしまいました。
      もちろん、ただの寿命だったのでしょう。

      薬の効果があって、一時高くなっていた腫瘍の数値は、しだいに下がっていきました。


      夏が来ました。例年にない暑さで、ニュースで何度も記録が更新されました。

      抗がん剤の治療は、予定の7月には終わりませんでした。わたしの体調がなかなか順調に戻らないため、8月に延びました。(結局9月までずれこみました)

      その日も、治療予定だったのが、延期になりました。
      わたしはがっかりしました。
      でも、あと1回。それで終わる。

      まだ明るいうちに帰宅して、わたしは何気なく窓の外を見ました。――そして、あっと声をあげました。

      裏庭のバラの、枝の先に、小さな赤い若葉が出ていました。

      もう大丈夫だ、と思いました。
      回復したのだ。
      わたしも、バラも。

      赤子の手のようなそれは、蝉の声がまだひびく青空に、いくつも広がっていました。
       
       
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      冬のあとに(4)4月

      2010.10.25 Monday

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        退院後、初めての検診。
        「その後、どうですか?」
        「おかげさまで、だいぶ食べられるようになりました」
        「すぐ回復しますね。それでは、手術について詳しく……」
        医師は、手術の結果を報告しました。
        問題の箇所は予定通り全摘。リンパ節も取って、散らばっているはずの癌を探した。
        けれど――

        「癌細胞は、ありませんでした」
        「え?」
        「珍しいケースです」
        「……」
        驚きに、わたしは言葉が出ませんでした。

        レベル靴もと言われていた癌は、bまで下がっていました。
        一番軽いaではなくbだったのは、前の病院から資料として送られていた細胞が、再発性のものだったからだそうです。
        そこで、と医師は言いました。
        「念のため、化学療法をしておきましょう」

        1回目は様子を見るために、入院をしました。アレルギー反応がなかったので、2回目以降は日帰りで治療をすることになりました。


        ――なぜ癌細胞が無かったのかは、いまだによく分かりません。
        万歩計を買って歩いたので、体の抵抗力が増したのか。
        身辺整理でスッキリして、なにか体内で不思議な作用があったのか。
        祈願が効いたのか。
        そもそも癌が初期の初期だったのか。

        癌になったなら終わりだ、いっそ早く死ぬと開き直っていたわたしに、神様が「もう少し生きてみなさい」と伝えたように思いました――。


        桜が咲き、春の訪れとともに、家族の顔もしだいに明るくなっていきました。
        「万が一、体にガン細胞が残っていても、これでなくなるね」

        抗がん剤の副作用は、吐き気と脱毛とでなんとも強烈でしたが、最後のハードルだと思って我慢することにしました。(あとリンパ浮腫という、むくみもありますが、これは一生、うまく折り合いをつけていくしかないようです)


        髪が抜け始めたとき、栗栖さんに、バリカンで剃り上げてもらいました。
        「ドングリみたいでかわいいぞ」
        「本当?」
        「ほら」
        「あ、本当」

        鏡の中で見返している自分は、初めて見る顔でした。意外に悪くない、と思いました。
        丸坊主になった頭に、春の空気は寒く、わたしはくしゃみをしました。ちょっぴり涙がうかびましたが、こぼれませんでした。

        裏庭ではバラが、まだ葉のない枝を、風にゆらしていました。

         
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        冬のあとに(3)3月

        2010.10.23 Saturday

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          術後は、胃が食事をうけつけず、眠れない毎日を過ごしました。

          そんなわたしを心配し、同じ入院している人たちが、なにかと声をかけてくれました。
          さまざまな人がいました。
          放射線治療と化学療法で長いこと入院している老婦人。3人の子供がいて、退院したら数日後に卒業式に出席しなきゃというお母さん。同室のおしゃべりなおばあちゃんは、皆からちょっと煙たがられていましたが、巧みにあいづちを打つご主人がお見舞いに来たときは、かわいいおばあちゃんになっていました。

          窓の外は曇りがちで、よく雨が降っていましたが、病院の中は快適でした。わたしはリハビリもかねて、廊下をよく歩きました。

          ある夜、廊下を歩いていたときのことを覚えています。
          年配の男性がうつむいて椅子に座っていて――泣いていました。そばでは看護婦さんがよりそっていました。静かでした。
          数分後にわたしが戻ると、2人の姿はありませんでした。

          食べては吐く日が続きました。体重はあっという間に落ち、体の感覚がおかしくなってきました。
          このままだと点滴に戻るのかな、と考えました。

          死にたくない、と思いました。強く、そのとき。

          長く続いた雨が、やっと止んだ朝。廊下を歩いていたわたしは、窓の景色に足を止めました。
          濡れて光る道路の網を、豆粒のような車が次々と走っていました。まだ眠っている建物たち。立ち上る蒸気で、遠くはかすんでいました。そのもやの中を鉄塔がポツ、ポツと等間隔に浮かんでいました。久しぶりの太陽のまぶしさに、わたしは目を細めました。

          なんとか吐かずに3口ほど食べた、翌日。
          夢を見ました。
          見知らぬ看護婦が、ベッドで寝ているわたしに点滴をしていました。わたしが頭を動かして挨拶すると、看護婦もおじぎを返しました。
          目がさめて、良くなる、と思いました。

          その日、退院しました。
          実家で10日ほど療養してから、家に移りました。

          ほとんどを寝て過ごしました。
          水仙も梅もわたしの知らないところで咲いて散っていき、季節はしだいに春へと向かい始めていました。

           
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          冬のあとに(2)2月

          2010.10.21 Thursday

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            死を身近に感じると、むしろ腹がすわります。
            2度目の手術までの間に、わたしは色々なことをしました。

            身辺整理。
            親しい友人への連絡。(愕然とされました。そりゃそうです)
            万歩計を購入して体力作り。(手術対策)
            病気回復祈願。(たまたま偶然)

            身辺整理は、保険や葬式での連絡先や、銀行口座のリストなど、残された家族が困らないように書き出しました。
            家族への手紙も書きました。感謝の思いをつづりました。わだかまりのある人には、許しの言葉を。
            書き終わった後は非常にスッキリして、それからは泣くことはなくなりました。

            わたしよりも、周りのほうが参ってきていました。
            実家の母は毎日のように電話してき、心配で夜眠れないと訴え、「がんばろうね」とまた涙声でくり返しました。そのたびわたしは「しっかりしてよ」と激をとばし、母を怒らせるのでした。
            夫の栗栖さんも、陰でこっそり涙をふいていました。

            2月下旬、入院。
            こんどは開腹手術で、予定より1時間のびました。
            廊下を医師や看護婦が通るたび、悪い知らせかと、家族は生きた心地がしなかったそうです。

             
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            冬のあとに(1)1月

            2010.10.19 Tuesday

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              ただ普通の手術のはずでした。
              ちょっとポリープが大きいから、取ってしまいましょう。
              切る範囲が狭く、回復が早い、腹腔鏡手術でした。

              それが今年初め。
              手術は無事に終了しました。
              リハビリをし、退院しました。

              次の診察で、医師に言われました。
              「悪性でした。すぐ転院して下さい」

              暗転――。まさにそんな感じでした。

              腹腔鏡手術は、腹部に小さな穴を空け、そこから器具を使って中で切除部位を細く切り、取り出します。大きく切る開腹手術と違い、体への負担が軽いのがメリットです。
              ただし、それが悪性だった場合は、それが逆にデメリットとなりました。

              「体内にどれだけ癌細胞が散らばってしまったかは分かりません」
              転院先での腫瘍専門の医師は、検査のデータを並べて、
              「良くてレベル供▲螢鵐僂泙播尚椶靴討い譴亅靴任垢諭
              前の手術で温存していた、体内の箇所は、全部摘出するとのことでした。

              病院の廊下で、母と2人でずっと泣きました。
              「がんばろうね、がんばろうね」
              母はそれだけくり返していました。
              自分は死ぬのか、と生まれて初めて思いました。

              季節は冬。梅もまだ咲いていない時期でした。

               
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